タグ:中村俊輔

1: 名無しさん@サカバナ 2019/08/10(土) 14:04:11.42 ID:grhKhvNV9
 現地時間8月8日、プレミアリーグの移籍期限最終日に、セルティックのスコットランド代表DFキーラン・ティアニーが、アーセナルへ駆け込み移籍を果たした。

 現在22歳のティアニーはセルティックの下部組織出身の新鋭SBで、2015年4月にトップチームデビューを飾って以来、両SBとCBを巧みにこなす守備のマルチとして活躍。スコットランドの名門の主力として、着実に声価を高めてきた。

 今夏の移籍市場では、リバプールやトッテナムなどのライバルクラブも獲得に動いていが、セルティックに対して3度のオファーを送るなど、熱意を見せたアーセナルが、最終的に移籍金2500万ポンド(約32億5000万円)を分割で払う形で争奪戦を制した。

 そのティアニーは、熱心なセルティック・ファンでもある。入団に際してアーセナルの公式サイトに掲載されたインタビューでは、「ここにいられることを嬉しく思う」と語った一方で、「少し前までの僕の野望は常にセルティックに尽くすことで、それが夢だった」と正直に告白するほどだ。

 そんな若きスコットランド代表DFには、“憧れのスター”がいる。かつてセルティックのアイコン的存在でもあった元日本代表MFの中村俊輔だ。英紙『The Sun』の取材で本人が明かしている。

 9歳でセルティックの下部組織に入団したティアニーが、日本代表のレジェンドに憧れを抱いたのは、2006年のことだった。当時の中村はチャンピオンズ・リーグのマンチェスター・ユナイテッド戦でFKを決めるなど、鮮烈なインパクトを残し、チームきってのスターとして君臨していた。

 当時10歳だったティアニー少年は、そんなスターからクラブが主催したイベントでスパイクをプレゼントされ、幼心に感銘を受けたという。

「その時、僕らはナカが見ていたなんて知らなかったんだ。それはクラブが用意したサプライズで、彼は一緒に参加してくれたんだよ。それでトレーニングを終えた後に僕らがベンチに座っていたら、彼が通訳を通じて『君が今日のベストな選手だ』と言ってくれてスパイクをくれたんだ。本当に嬉しかったよ」

 その思わぬ出来事をきっかけに、ティアニーは中村の虜となった。そのインタビューでこう続けている。

「僕が初めて見たオールドファーム(レンジャースとのダービー)でも、ナカは30ヤードほど(約27メートル)のスーパーゴールを決めていたと思う。あれは僕にとって忘れられない強烈な一撃だよ。あれから、何千試合以上ありとあらゆる試合を見たけど、あそこまで素晴らしいゴールを、それもビッグマッチで決めた選手は、ナカの他に記憶がないね。

 僕はずっとナカを目指してきたんだ。いまだに全てのセルティック・ファンと選手が彼を愛しているからね。フリーキックやGKを欺くプレー、彼の技術はすべてが最高なんだ。いつでもどんな時も彼は頼りにされていた。本当にワールドクラスの選手さ」

 スコットランドで異彩を放ったサムライへの憧れを抱き続ける俊英DFは、新天地となるノースロンドンで、そのヒーローのような活躍ができるのか――。大いに注目したい。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190810-00062637-sdigestw-socc
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1: Egg ★ 2019/07/11(木) 19:21:14.29 ID:FnM0c1Yt9
J2横浜Cへ完全移籍が決まったMF中村俊輔(41)が静岡県内で取材対応した。口にしたのは2年半世話になった磐田への思いだった。

「チームが苦しい時期に申し訳ない。去年手術をしたり、プレー時間が長くなかった。チームに迷惑をかけた。サポーターの皆さん、チームメートに感謝の気持ちを持っている」

 決断した理由を問われた。

「決定的なものがあったわけではない。ただ今季は練習試合含めいいプレーができていた。ただ、試合に出られないから次のチームにいったわけじゃない。プロですし、そういう決断に少しずつなった」

 17年に加入し、6位に導いた。昨年は16位に沈み、今季も最下位。出場試合はわずか2試合だ。

「日本では横浜Mしか知らなかった。初めて外に出た。磐田来て違う景色を見られて、勉強になったという感じ。もっと結果を出したかった。出せるときもあった。残念。申し訳ない」

 磐田では代名詞の背番号10でプレーした。

「10番への思いは変わらない。名波さん(前監督)は『7と10は俺が決める』とおっしゃっていた中で許可をえてつけさせていただいた。17年はそれなりにできたかもしれないが、18年はそれ以上を望んだが、足首が良くなかった。申し訳ない。

 ただ背番号がすべてではない。プレーでみせたい。いまもうまくなりたい気持ちがある。だからこそ環境を変えて挑戦したかった」。

 思い出に残った試合は17年の8節アウェー鹿島戦(4・22、3〇0)だ。

「(2点目の)ロングシュート決めたとき。名波さんを中心に輪になった。監督に飛びついたのははじめてだった。そういうチームの雰囲気が出ていたシーン。名波さんの存在は大きかった。また、磐田以前は選手と食事にあまりいかなかったが、名波さんにいわれていくようになった。いろいろなものを落とし込んでくれといわれた。他愛のない話、サッカーの話など、新しいこともした。勉強になった。今後いかせるものがあってよかった」。

 横浜Cへ移籍する。J2でのプレーは初だ。

「次のチームで取り返したい。まだ自分のプレーをアピールしたい。試合に出て結果を出したい。いままでと変わらない。サッカーに対する情熱は勝手にわき出てくる。グラウンドにカズ(三浦知良)さんがいれば勝手にわき出てくると思うけれど」

 横浜Cでのプレーについても話した。

「磐田で学べたのはけがのこと。けがが多い中で横浜Cにとってもらった。磐田時代以上にもっと繊細になって察知したい。練習量も考える。試合に絡んでいきたい」

7/11(木) 18:41配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190711-00000169-sph-socc
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1: 幻の右 ★ 2019/07/11(木) 16:12:56.32 ID:DwS/THx69
2人合わせて93歳の大ベテランコンビが実現へ


 横浜FCは11日、ジュビロ磐田より元日本代表MF中村俊輔を完全移籍で獲得したことを発表した。背番号は46に決定している。

 中村は1978年生まれの41歳。日産FCジュニアユース(現横浜FMジュニアユース)から桐光学園高校を経て、97年に横浜マリノスに加入。00年には22歳でJリーグ最優秀選手賞(MVP)に輝き、シドニー・オリンピックへの出場も果たした。

 01年にはヤマザキナビスコカップ(現JリーグYBCルヴァンカップ)を制覇するなど、国内での評価は高まる一方で、自国開催となった02年のW杯は無念の招集外に。それでも、同年夏にセリエAのレッジーナへ移籍。瞬く間にその黄金の左足を世界に轟かせた。

 05年からはスコットランドの名門、セルティックに所属。リーグ3連覇に大きく貢献するとともに、06-07シーズンにはスコットランドPFA年間最優秀選手賞、リーグベストイレブン、スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞を受賞。自身初の出場となったチャンピオンズリーグ(CL)では、マンチェスター・ユナイテッド戦で決めたFKは記憶に新しい。

 09年にはスペインののエスパニョールへ移籍するが、環境に適応できず、翌年に横浜FMへ復帰。13年には自身2度目のJリーグ最優秀選手を受賞した。しかし、17年に「自分の魂であるサッカーと現役を退くその最後の瞬間まで、真摯に、そしてなによりも喜びと楽しさを持って向き合うため、懊悩煩悶の末、マリノスを離れる決断に至りました」と、横浜FMからの移籍を決断。選手時代を知る名波浩氏が指揮官を務める磐田に完全移籍を果たした。

 加入初年度こそリーグ30試合に出場し、チームを6位躍進に導いたが、18年からは負傷の影響などもあり出場機会が減少。今季はリーグ戦2試合の出場にとどまっていた。

 中村が加入する横浜FCは、古巣横浜FMと同じく神奈川県を本拠地に置くクラブ。06年にJ2初優勝を達成。07年がJ1初挑戦となったものの、最下位で降格に。その後はJ2での戦いが続いている。昨季は06年に次ぐ3位の成績を収め、J1昇格プレーオフに出場したが、準決勝で敗退。昇格を逃していた。

 今季は「J1昇格を至上命題」に掲げながら、開幕から中位に位置。クラブは5月16日にタヴァレス監督を解任し、新指揮官には下平隆宏ヘッドコーチの昇格を発表していた。

 チームにはJリーグ現役最年長の52歳、三浦知良が在籍。長くJリーグをけん引してきたキング・カズと中村の共演が実現することとなった。横浜FCは公式ツイッター(@yokohama_fc)での発表とともに「長く日本代表でも10番をつけてプレー、海外でも最高のレフティ、フリーキッカーと称される同選手の加入は、クラブにとって今季のJ1昇格への切り札となります!」と紹介している。

 加入にあたり中村は「このたび、横浜FCに加入することになりました。今まで培った経験を生かして、ひとつでも多くの勝利をクラブ、そしてファンサポーターの皆様と共有できるように頑張ります。よろしくお願い致します」とコメントしている。

 また磐田を通じては「このたび、横浜FCに移籍することになりました。リーグ戦で苦しい時期にこのような決断をした事、また怪我が多くピッチでプレーする時間も少なく、本当に申し訳なく思っています。この2年半は、自分のサッカー人生の中でもとても思い出深いものとなりました。ジュビロに加入した直後にも関わらず、サポーターの方々がチャントを作って応援して頂き、またサックスブルーでも10番をつけプレーした事など、感謝しかありません。チームメイト、スタッフ、スポンサー、会社の方々、ファンサポーターの皆様に心より感謝致します。ありがとうございました」と感謝の言葉を述べている。

GOAL 7/11(木) 15:36
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190711-00010019-goal-socc
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1: 豆次郎 ★ 2019/07/02(火) 04:25:15.65 ID:GWefSx/d9
2019年7月2日 4時0分
スポーツ報知

 J2横浜Cが今夏の移籍市場で、元日本代表MF中村俊輔(41)=磐田=の獲得に乗り出していることが1日、分かった。2007年以来、13季ぶりのJ1昇格を目指しているが、今季はここまで7勝5分け8敗と負け越して13位と出遅れている。巻き返しの切り札として、日本を代表するレフティーに白羽の矢を立てた。交渉がまとまれば、FW三浦知良(52)との夢のレジェンド共演が実現する。

 日本サッカー界のレジェンド2人がJ2、横浜Cを舞台に共演する可能性が出てきた。今夏の移籍マーケットが開く19日を前に、横浜Cが、磐田MF中村の獲得に動いていることが判明。関係者によると13季ぶりのJ1復帰を目指すチームが、13位からの巻き返しを図るための起爆剤として白羽の矢を立てた。磐田との移籍交渉がまとまれば、カズとの夢のタッグが実現する。

 中村は今季リーグ戦で出場2試合(先発1、途中出場1試合)にとどまり、現在は左内転筋の肉離れで別メニュー調整中。ただ、横浜Cは41歳を迎えても左足から繰り出される日本最高峰のFKと技術、試合を読む力は衰えることはないと高く評価。負傷、シーズン途中の加入など不確定要素がある中でも、豊富な経験からチームに上積みをもたらせる存在としてラブコールを送った。

 カズは過去に、中村と一緒にプレーすることを望んでいた。2009年6月30日に初めて2人で会食。その後、「同じ横浜なんだからマリノスではなく、横浜FCでもいいだろ、とオファーを出しておいた。いつか一緒にプレーしたいね」と口説いたことを告白していた。当時、中村をめぐってはスコットランド1部セルティックから古巣・横浜M復帰が取り沙汰されており、争奪戦にカズも“参戦”したが、最終的に中村はスペイン1部エスパニョール移籍を決めた。

 10年前のカズの願いがかなう可能性は、ある。中村にとっては地元のクラブであり、尊敬する「キング・カズ」の存在は大きい。何よりもクラブから戦力として高く評価されており、次なる新天地として選んでも不思議ではない。得点源FWイバとのホットラインが完成すれば、他クラブにとっても脅威になるはずだ。夏の選手登録期間は19日~8月16日。日本のキングと天才レフティーの邂逅(かいこう)は、大きな話題となりそうだ。

 ◆カズと俊輔 年齢は11歳差だが、98年フランスW杯直前のオーストラリア合宿で対面して以降、カズは「本物のサッカー小僧」、俊輔は「ベテランという域を超えた存在。憧れ」と尊敬し合う間柄。日本代表では4試合で共演。俊輔が初得点した00年2月のアジア杯予選ブルネイ戦では“アベック弾”を記録している。

 ◆中村 俊輔(なかむら・しゅんすけ)1978年6月24日、横浜市生まれ。41歳。桐光学園高3年時の高校選手権で準V。97年に横浜Mへ加入し、2000年のシンガポール戦で日本代表デビュー。同年シドニー五輪出場。02年にレッジーナ(イタリア)移籍。セルティック(スコットランド)、エスパニョール(スペイン)、横浜Mを経て17年に磐田へ移籍。日本代表通算98試合24得点。178センチ、71キロ。家族は妻と4男1女。

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